お兄ちゃん12歳 (熊本地震・備忘録2)

まだ余震が続く中、お兄ちゃんが12歳の誕生日を迎えました。
誕生日には、周りのお店も開いていたのでケーキを買ってお祝いしました☆
なんだか 特別な誕生日でした。




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(なんの遊び??)







学校が休みの間、ずっと一緒にいましたが、あまり喧嘩をすることもなく楽しく過ごせました。
もうずっと休みでいい、そのほうが守れるから!とさえ思いました(*´ω`)



(↓熊本地震・備忘録2  前回からの続きです)

16日  1:25 最大震度7、私の住む地域は震度6弱が2度

大きな揺れで目が覚めました。

昨日とは明らかに違う、とても強い揺れでした。
同時に鳴り響く携帯からの「地震です、地震です」という警報音。

ゆっさゆっさと揺らされる家。それから町の地震防災放送・・・
その全てにドキドキしながらも、暗い中、両脇に寝ている子供たちを手で触り確認し揺れが収まるのを待ちました。

とてもとても長い時間で、家がよじれて潰れるのではないかと心配なくらい横に揺れていました。
と同時に「えー?何これ?夢??」と、激しい揺れに初めて襲われた事に信じられない自分がいました。

揺れがおさまってから、携帯を首にかけ電気をつけようとしましたが停電になっていました。
せっかく携帯が手元にあったのにもかかわらず、携帯に懐中電灯機能があることはすっかり忘れるくらい動揺していました。
2階の寝室のドアを開け、1階で寝ていたパパに「大丈夫?」と声をかけると「大丈夫!」との返事がありホッとしました。
(後になって考えると、いつもパパが寝ている隣には、大きな重たい全身鏡を置いています。
  ↓(以前の記事より)

熊本地震後


前回の記事にも書きましたが、14日の地震で、念のため横に寝かせておいたのが正解でした。

熊本地震後2


もしそのまま置いていたら、間違いなくパパの方に倒れかかってきて、最悪の場合、鏡が割れて怪我をしていたと思います。16日未明の地震は、あまりの揺れの大きさに、普段は物事に動じないパパも机の下に隠れたと言っていました。)

パパがライト(ランタン)を持って2階に上がってきてくれました。

パパの顔と、明るいライトを見て少しホッとしました。
暗い中に灯りがともるだけでこんなにも気持ちが明るくなるのか、と感じました。

とりあえずまた揺れるだろうから車に乗ろうということで、パパは長女を、私は次女を抱っこして階段を降り1階に行きました。
1階の状態をライトの灯りで垣間見た時に初めて震えがきました。
少しでも高さのある所に置いていたもの(テレビやパソコン等々・・・)は全て下に落ち、プリントや文書類は全部床に散乱していたからです。あまりの物の散乱ぶりに心臓がドキドキし始め、その中からメガネを探す手が震えていましたが、それが抱っこしている次女に伝わらないように、ととても気を使いました。
(うちは作り付けの食器棚だったからか、食器は一つも割れてなく、それだけでも不幸中の幸いでした。お皿が割れるとショックだし、片付けも心身ともに疲れますもんね。)

とりあえず、飲み物と毛布を持って車に入り、パパと私の両親の無事を確認に行く事にしました。
家を離れる前にトイレだけ済ませようとしましたが、我が家はオール電化であったため、停電していた状態では、いつも勝手に流れてくれる水も流れない状態でした。その時に「お風呂の水を取っておいてよかった!」と思いました。(水があれば、レバーを回す事によりトイレの汚物は流れます)。
まずはパパの実家に車を走らせると、途中途中で瓦が落ちている箇所が多く、車が通れる道が限られていました。
回り道をしてたどり着くと、どうやら避難所へ行った後のようでした(電話しても出られず)。

次に私の実家へ。両親は団地の4階に住んでいるので、パパがササッと階段を上がっていってくれましたが、
その後なかなか下りてこないため心配でした。
どうやら、家中の棚は倒れ本は飛び出し、更に玄関の前に置いていた高い棚が横に倒れていたため、父と母はなかなか玄関まで辿り着けない状態だったようです。しばらくして貴重品と毛布を抱えた両親が下りてきて、顔を見てホッとしました。
ホント、さっと動いてくれるパパに感謝しました。

両親が自分たちのタイミングで帰宅する事を考え、両親の家の近くの小学校へ送り(姉夫婦が既に避難中の場所)、
自宅へ戻ろうと車を走らせました。
朝ごはんを確保しておかないと、と思い、何か買おうとしましたが、
途中のコンビニは全て閉まっていて販売してくれませんでした(店主さんはいましたが開けられないと断られました)。

1店だけお客さんを受け入れ、商品を販売してくれていたコンビニがあり、そこに行こうとするとその向かい側のガソリンスタンドに列が出来ていました(地震の時はガソリン確保が大事という事を思い出しました)。
パパはガソリンを入れる列に車で並び、私だけコンビニへ入りました。
コンビニの中の商品はほとんど床に落ち、アルコールの瓶は割れて危ない状態でアルコールの臭いも充満していました。
おにぎり、パンはほとんど無い状態だったので、数少ないパンと、
何かの足しになればと、シリアルやクッキーなどを買いました。

商品がない店内を見て、
この先子供たちに食べさせる食料がなくなったらどうしよう・・・
ととても不安になりました。
お店が開かない、開いても商品がないという状態がこれほどまでに怖いのか、
ということを初めて知りました。

その後も余震は続き町内の地震放送は大きく鳴り響き、
携帯では地震速報のプッシュ通知がひっきりなしに通知されるくらい余震が頻発し、
その度に強い余震に車が揺らされました。

その後は高い建物がないコンビニの駐車場で夜が開けるのを待ちました。
うちの車にはテレビがついていないため、移動中はずっとラジオを聞いていましたが、
ipadでNHKのオンライン放送を見た時に初めて各地の状況が段々と分かってきました。
私たちの周りの家は新しい建物が多いため、大きく崩れた家はなかったのですが、
崩壊した宇土市役所の様子を見た時に初めて地震の大きさ、自然災害の恐ろしさをまざまざと見せつけられました。

(コンビニやwifiスポットでは国からの無料wifiが用意されていたため、それに繋ぎ各地の様子を見ることが出来たし、LINEで家族やお友達と連絡を取り合うことが出来ました。やはりLINEは便利でした。開発してくださった方々に感謝です。)



今日も読んでくださり、ありがとうございます。



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