(熊本地震・備忘録3最終)

小学校がお休みの間に、近所の小学校にロアッソ熊本のメンバーが慰問訪問してくれ、

サッカー交流会を開いてくれました。

久しぶりに体を動かすことのできた子供たち、
笑顔でいる子供たちを見ると、親まで笑顔になることが出来ました。


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(清武選手にサインをもらいました)







 この場所も

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 こんなになってしまいました。


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(以下↓ 熊本地震・備忘録3です) ご興味のある方のみ、どうぞ

本震後、コンビニの駐車場で夜を明かし、朝の5時頃に家の駐車場に戻りました。

私は家に入るのが怖く、まだ余震が続く中、
どのタイミングで揺れる家に入り片付けを始めたらいいか分からなかったのですが、
パパが「子供たちと一緒に車の中にいていいよ」と言い、自分だけ家に入っていきました。

1時間ほどして家に入ると、倒れていたテレビがついており(停電が解消された)、いつもどおりになったリビングがありました。
パパは最後のキッチンを片付けていて、私は何もする必要もなく、
快適な部屋に子供たちと戻ることが出来ました。




熊本地震





 パソコンも 壊れました



熊本地震2



この時点で断水でした。

後日私が片付けした場所:二階のクローゼットの中、フリールームの中、娘たちの部屋

16日 朝

夜が明けてからは家の中で過ごしました。
何回余震が来たでしょう。

その度に「ミシ」と音を立てて揺れる家にびくびくしていました。
いつ車へ向かって飛び出そうか、と考えたことが何度あったことか。

朝ごはんは今朝がたコンビニで手に入れたパンにしました。
お隣さんから、「マックで、来た人数分だけバンズを配ってるよ」という情報をもらい、
家族5人で近くのマックにいきました。
ご家族らしい方がいて、ハンバーガーのバンズだけを人数分袋に入れて手渡してくれました。
普段マクドナルドにはあまり行かないのですが(すみません)
お店も開かず、食べ物もない中でとてもとても有難い支給でした。
私が住んでいる地域では、電気は早く通ったのですが、水が出なかったため料理が出来なかったのがつらかったです。
材料はある程度あったのですが・・・。
その帰りにスーパーに列が出来ていて、何が売っているのか分からないままとりあえず並びました。
物を販売してくれるお店が少なかったからです。
結局水はなく、サイダーなどだけ買いました。
何もない時って、とりあえず販売してくれるものはすがるように何でも欲しくなってしまうものなのだと初めて感じました。
危険です。。。

そのあと、避難所となっている地域のコミュニティセンターへ行きました。
センター内は人がいっぱいで、新規の人が入るスペースは到底ありませんでした。
支援物資も届く様子はなく、ご飯もお水もない中で、みんなテレビの前に座ってボーっとしている状態でした。
ちょうど水が届いた時で「ここに2列で並んで下さい!」と担当の方(町役場の方?)が言われ、みんな急いで並びました。その時に長女の学校のお友達の顔が見え、地震以降初めて見た同級生の顔にとてもホッとした笑顔を見せた長女がいました。

お昼も買っていたパンを食べました。
水は相変わらず断水で、トイレはお風呂の水で流しました。
水が無いとかなり不便です。
「お風呂にも入れないし、手も洗えないのは困るなぁ・・・」そう思っていると近所のコンビニが開いていたので覗いてみると、食料が無いのは当然のこと、ウェットティッシュも売り切れで、「はぁ」と諦めの境地でした。

ただ、電気は通っていたので、公民館でもらったお水でお米を炊く事にしました。
無洗米ではなかったため、水を沢山使ってしまいました。
普段何も考えずにお米を洗い、お米を炊いていましたが、こんなに水を使っているのか、とびっくりしました。公民館でもらった水は500mlを5本(5人分)もらったのですが、3本ほどなくなりました。

その後は、自衛隊のご主人を持つお友達のもとへ。
(ご主人が自衛隊ということは、もちろん自分たちも被災しているのにもかかわらず、家族を置いて困っている人たちを助けに行かなければならない職業の方で・・・。
そのお友達のご主人もそうだと思いますが、自衛隊の方々はみんな大切な家族がいて、一緒にいてあげたいんだけれども、その家族も含めた日本のみんなを守っているお仕事なんだなーと。。。
自衛隊の方々が直接支援してくださっているのに対し、その自衛隊の方々を裏で支えてくれている(お父さんがいなくても頑張ってくれている)お母さんや家族の方々からも私たちは支援されているんだ、と本当に感謝しなければいけないと感じました。)


お友達は、その子一人で3人の子供と(うちのお兄ちゃんと同級生がいる)一緒に車にいて、この先どうしたらいいのか・・・ととても不安そうだったので、顔を見に行くことにしたのです。
公民館の駐車場にいて軽自動車に4人乗っていました。でも、一番上のお姉ちゃんは中学2年生なので、軽に4人寝るのはきついよねーということで、公民館に一緒に場所を取りに行くことにしました。
最初の方にも書きましたが、公民館はもう人がいっぱいで入る隙間もなかったため、
公民館外の屋根がギリギリあるところに薄いマットレスとシートを引いてそこに寝れるように場所を取りました。
私もお兄ちゃんも、お友達の顔を見てホッとしました。
それから帰宅すると水が出るようになってしました。
・・・ただ、とてつもない濁水でした。


熊本地震3


でも、汗をかいたままよりもいいよ!ということでその濁水のお風呂に入ることに・・・汗
その日もパンを食べました。相変わらずお店は開きません。

寝るだけにして車の中へ。
食料とお着換え、貴重品をみんなそれぞれがリュックに入れて持ち運ぶのも慣れてきました。

17日

昨日と同じくコンビニの駐車場で夜を明かしました。
明け方に搬入のトラックが1台やってきてパンなどの商品が入荷しました。
ただ、待っている私たちにとっては雀の涙ほどの数です。当
然、買い物に来たお客さんで売り切れ(みんな譲り合いで2個ずつくらいの購入でした。殺伐としていなかったのがせめてもの救い)。
そこでパパが山鹿方面へ車を走らせました。
まだ4:30くらいだったので、道も混んでいませんし、ガソリンを満タンにしていたのも幸いでした。
山鹿はあまり揺れも激しくなかったようで、コンビニも普通に開いていました。
ただ、熊本市内から沢山のお客さんが来たとのことで食料品はほとんどありませんでした。
そこでパパは八女までいくことを決め、更に車を北上させました。

八女のマックスバリューに着くと・・・
涙が出るくらいの、普通のお店構え、品揃えでした。

まず、お店が開いていることに感動です。

お水もケースで売ってある、無洗米もある、おにぎりやパンも揃っている・・・。

とてもとてもありがたかったです。
いつもは普通に買い物している風景だったのに、いまはその「普通」が周りにない状況でした。

両親や姉、近所でまだ停電が続くお友達への食糧を買って帰りました。
朝の6時前には出ましたが、熊本の植木あたりで渋滞が始まっていました
(高速が損壊していて植木より南には行けないため、植木でみんな高速を降りてくるためです)。
私たちは合志の方へ抜け、渋滞にはまらず帰ってくることが出来ましたが、
途中でお兄ちゃんが「トイレに行きたい」と言いました。
いつもならコンビニに寄って用を足すのですが、コンビニやスーパーがどこも開いていないため、「ちょっと寄る」ことも出来ないんです。当然家まで我慢してもらいましたが、本当に、ちょっとしたことでも出来ない不便さを改めて痛感しました。便利な生活に慣れすぎているんですね。

とりあえず買ってきたものを配りに行きました。
16日未明から小学校に避難していた両親に1日ぶりに会って話を聞くと、小学校に昨日1日いて、配給してもらったご飯はおにぎり1つだったそうです。
朝から夜にかけておにぎり1つ。
とてもひもじい思いをしたと言っていました。おにぎりとパンを3食分くらい渡しました。


このころになると、空き巣被害や強姦の噂、県外から詐欺グループが熊本に入ってきているから県外ナンバーに気を付けて!!なる連絡がたくさん入ってくるようになりました。余震におびえながら暮らしているのに、周りの人まで疑わないといけないのか・・・と本当に寂しくなり恐怖を覚えました。

この情報からも、子供たちだけで遊びには出せない!という考えを持つようになります。

余震もいつ終わるか分からないほど大きいものが続くため、
このまま永遠に終わらないのかもしれない、とか、このまま熊本はダメになるのでは・・・?とか、
子供だけでの学校は本当に大丈夫なのだろうか?
私は仕事に行っていいのか?(行っている間に地震が起きたら・・・)など、
絶望的な気持ちになっていきます。
とても前のような暮らしに戻れる気分がしないのです。「地震」にどっぷり支配されてしまっていました。

もちろん今も地震のことを考えないわけではありません。
朝起きて一番にすることは、地震情報の確認です。
どのくらいの震度の地震がどこで起きたのかをチェックするのが日課です。

今では余震がないことのほうが不安です。
静かすぎると、いつかまた突然爆発するのではないか?と・・・。それくらいなら、普段から震度3くらいが頻発してくれていたほうが安心だったりするのです。

不思議ですね…。
でもおかげで、災害に関してとても敏感になり、防災にとても関心が強くなりました。
熊本県内にある断層(今回移動した「日奈久・布田川断層」以外にもう一つ「立田山断層」という断層があります)が動いた場合の予想される震度をハザードマップで調べたり、南海トラフ地震が起きた場合の津波の浸水地域とその予想される高さなどを調べています。

今住んでいる地域では津波は心配ないかな・・・とも思いますが、
お兄ちゃんがよくサッカーの試合で訪れる沿岸沿いは津波の被害を受ける可能性があります。
今回の熊本地震で、いつ、なんどきに災害が起きるかは、誰にもわからないことが分かりました。

自分の家族を守れるのは自分だけ。

いつ起きるか分からないという意識の下に、万全の備えをしておこうと思うのは、滑稽なことでも何でもないと思います。
「あの人は心配性ね、起きるわけがない」という考えは、自然災害にとってはとても危険だと思いました。
今回のことで、東日本大震災のことを再度調べなおしています。皆の予想を超える津波の大きさだったために誤った避難所への誘導が相次いでいたようです。「このくらいで大丈夫」という考えは捨て、予想を超えることが起きるかもしれないことを頭の片隅に置いておくことが防災につながるのだと改めて思います。

特に、最近よく耳にする「南海トラフ地震」は、
過去の統計からも必ず起こることが予想されています(30年以内に70%~80%の確率で地震が起きる)。

それが起きた時のために、備えましょう。何もない時にこそ、備えておきましょう。


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パパの会社です



熊本地震4
 

熊本地震5



 いつも子供たちが行っているそろばん教室のブロック塀も壊れていました。

熊本地震6




長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

14日から17日にかけての記憶を残しておきたくてお付き合いいただきました。
とりあえず備忘録はこれで最後にしようと思います。

とりとめのない内容ですみません。
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